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爺の登山小史 No41 ヒマラヤⅡ
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3/23 出発の朝、2人のポーターさんが迎えにくる。小柄で痩せたおっさんだが、40kg近い荷物を、額に廻したベルト一本で支え、毎日歩いてくれた。我々も10数kgの背負子を担いで、日本人ポーターといった雰囲気だった。地元の人達で混み合う乗り合いバスで、カカニの丘を越え終点のトリスリバザールへ。(歩いて4日行程のシャルブーベンシの先まで今では車で一日で入れるが)。バナナの実る田園風景の中を、汗ビッショリになりトボトボ歩く。最初の宿は小学校の校庭で満天の星空を仰いでの野宿だった。翌日から登りが続く。トリスリ大峡谷の谷底を数百m下に見ながら、村から村へと続く道を進む。この道は昔からチベットとの交易に使われている街道なのだ。今度の旅は食事も現地調達と言う事で、奥に入るほど質素になって行った。一日三食全てが、茹でたじゃが芋に塩を振っただけという日もあって、この調子じゃ、ベースキャンプに着く頃には栄養失調で倒れるんじゃないかと不安になってきた。
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by kikunobu111 | 2008-12-06 16:32 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No40  ヒマラヤⅠ
1975年(昭和50年)3月11 友人達に見送られて松江駅を出発。東京の旅行代理店でバンコク往復チケットを購入。(当時ネパールまでのチケットは国内では入手できなかった?)。五反田のネパール大使館で入国ヴィザ取得に二日かかった。その間、友人宅に居候。
3/14 ネパール出発の朝、羽田空港まで運んだでっかいザックは、ピッケル、ザイル等でパンパンに膨らんでいた。初めての海外、飛行機に乗るのも始めて。離陸時の緊張感は相当のものだった。機が水平飛行に入って、やっと安心。カトマンズには、S大現役のF君、S君が先着していた。彼らと行を共にするか、単独行にするか最後まで悩んだ。
 中継地、バンコクが最初の異国体験。ここでカトマンズ行きの格安チケットを手に入れるため、数日間の滞在となった。夜の空港に降りた瞬間、熱気の中に香辛料の香りを吸い込んで、「おー!東南アジアだ。」と実感した。この数日間は結構、ヤバイ目にも会ったが、俺をタイ大好き人間にしてしまった。
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3/18 午後3時、機は茶色い段々畑の連なるカトマンズ盆地に着陸。空港から市街までの風景は、バンコクとは大違いで、ブリューゲルとかボッシュの絵に出て来る様な中世の町並みだ。安宿に着いて、S大の2人と合流。話し合いの末、3人でランタンヒマールに行く事になる。(単独行を通さなかった俺の弱気が原因で後悔することになるのだが)。
3/19~3/22 この間、食料の買出し、ポーターの手配で町中走り回る。30数年前のカトマンズは車の姿も殆ど無く、空気も綺麗だった。食料買出しで、S大の2人と微妙に食い違う。俺はベースとなるランシサカルカに最低2週間分の食料を運んで、充分に雪と氷の世界を味わいたかった。出来れば小ピーク登頂も。しかし彼らは将来の遠征に備えて、ランタンヒマールだけでなく、エヴエレスト方面など広くトレッキングしたいと考えていた。結局食料はベースキャンプからは1週間分、トレッキング中は現地で調達と言う事になった。ポーターもたった2名。これじゃ、ライトエクスペデイションじゃ無くて、トレッキングじゃないか、と俺はかなりガッカリした。
by kikunobu111 | 2008-11-29 10:49 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No39
1975年の正月、松江の山仲間5人で北アルプス、錫杖岳合宿をした。目指すは北沢大滝直登から中央稜へのミックスクライミングだ。初めての北ア冬季合宿に皆張り切っていた。40kg近い荷を担いで、クリヤ谷経由で錫杖沢BCを設営。午後ルートの偵察をする。行けそうな雰囲気に安堵して、BCに戻る。
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重荷を背にクリヤ谷を登るMI君。
1/3 3人が北沢大滝に向かい、2人は沢伝いで本峰往復に出発。大滝登攀は甘くなかった。ハーケンを打ちながら、垂直の岩溝を攀じる。上からチリ雪崩がひっきりなしに落ちて来る。3ピッチ目でハーケンも底を尽き、ボルトを打つが、宙吊りの苦しい体勢で中々高度が稼げない。時計を見たら2時近い。今日はこれまでと、懸垂で下る。雪まみれで3時過ぎBCに帰ったが、本峰組の姿が無い。程なく彼等からの無線が入る。「頂上付近で吹雪の中、下山コースが判らなくなった」と。慌てて救出に向かう。日暮れ寸前、自力で降りてきた二人と合流。ホッとする。
1/4 装備不足と、根性の無さで午前中は停滞。雪の中で盛大な焚き火をする。2人が槍見温泉まで、一日掛かりで酒の買出しに。俺とOは昨日の大滝にフイックスロープを張りに出かけるが、青白い氷壁が続く3ルンゼを見て、計画変更。午後2:30前衛フェース3ルンゼの氷壁にアタック。シモンのアイスバイルがスパッと刺さる快適な登攀だ。F2、F3と雪に埋まった残置ハーケンを掘り出し、ルンゼ側壁の岩にアイゼンをガリガリ言わせながらの苦闘カが続く。気がついたら周囲は夕闇に包まれだした。2/3は越えてたが、またまた懸垂下降で敗退。
1/5 3人で吹雪の中を頂上往復。全ての登攀計画は失敗に終わった。意気消沈でBCを撤収し下山。民宿で飲む酒は苦かった。
by kikunobu111 | 2008-11-07 14:32 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No38
全力投球の滝谷登攀から帰って、ヨーロッパアルプスに行こうにも、暇、金、登攀能力の三拍子揃ったパートナーは見つからず、地元でゴソゴソするしか無かった。三刀屋の雲見滝に良い壁があると聞いて開拓をしたり。岩は花崗岩で綺麗な節理の50m余りのフエースだ。取り合えず登りやすそうな中央の壁にアタック。途中から残置ハーケンがあり初登では無いようだ。我々は、左側のカンテルートを一本追加した。
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当時の山日記
 断魚渓の岩壁にも行った。当たり構わず、ハーケン、ボルトを打ちまくってた。秋の大山、矢筈源流、右俣(熊谷)遡行もした。
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なかなかの秘境で手応えのある沢だった。このシーズンは、他に甲川遡行、大山、北壁の天狗沢、大屏風岩、滝沢、別山と欲求不満を解消する様に登りまくった。  しかし海外遠征に行きたいという思いは棄て切れない。そこにかすかな光明が見えてきた。当時地元S大学山岳部の連中とクライムする機会が増えたおかげで、山岳部のOK氏と知合いになった。彼は俺の登山路線とは毛色が違うが、1年かけて世界一周無銭旅行を達成して帰ったばかりだった。当時は海外に行くだけでも大変な時代で、小田実の「何でも見てやろう」という本が若者の間でベストセラーになっていた。俺は何度も、OK氏の下宿を訪ねて、彼の旅のノウハウを聞きまくった。次第に方向が定まってきた。ネパールヒマラヤだ!OK氏によると、ヒマラヤの5~6.000m級を登るのに、大袈裟な準備なんか要らない。金も要らない。めんどくさい登山許可なんか無視しろ。無許可登山したって誰も見ちゃいない。帰って黙ってりゃわかりゃしない。という極めて、アナーキー、アウトローな方式だった。当時のヒマラヤ登山といえば、何でも組織、組織で、頂上で日の丸を掲げるのが流行ってた。「登山なんて個人の遊びじゃないか。無理して大物量作戦で7.000~8.000mに行くより、気の合った少人数で身の丈に合ったピークを目指す方がよっぽど楽しいわ。」その点でOK氏とピッタリ意見が合った。
by kikunobu111 | 2008-10-31 13:55 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No37
4/30 4:30出発。出発時の天候は穏やかだった。合流点に着き、真ん中のC沢に入る。カチカチに凍った雪の急斜面上部から、時折落石がブーンと気味の悪い音で飛んで来る。これがパチンコ玉みたいに、沢の側壁に跳ね返って真横からも飛んでくるのだ。身を隠す場所も無く、スノーコルまでの2時間は生きた心地がしなかった。先行パーテイがいたので取り付きでザイルを結んだままツエルトを被って待つ。第4尾根の出だしは脆い岩場だ。二人で交互にトップを受け持つ。凍ったカンテに馬乗りにしがみ付きピッケルを振るって手掛かりを削りだしながら攀じ登る。天気は次第に悪化している。9ピッチ目のツルム側壁はヌルテカの氷に覆われ、ハーケンも氷雪の下に隠れて、恐怖のフリークライミングだった。冬の大山でも経験したことの無い強烈な寒さと風の中、ツルムのコルへ懸垂下降し、最後の登攀に入る。13ピッチの苦闘の末、Dカンテ上の終了点に出るが、急な雪稜が続きザイル確保で進む。北穂~涸沢岳間の稜線は物凄い風雪で岩にしがみつかないと、涸沢側に吹き飛ばされそうだ。ザイルを解いたら、40mのザイルが魔法のロープみたいに垂直に空に向かって立ち、引っ張ってもビクともしない。滝谷の上昇気流の激しさを物語っている。
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夕闇の稜線に落ちてきたザイルは複雑に岩に絡みつき回収不能となる。稜線の涸沢側に、小さい雪洞を発見。中にいたクライマーに頼んで避難させて貰う。夜中になって後続パーテイも到着し、狭い雪洞に入れないので、上半身だけ突っ込んでビバーク体勢に入る。文字どうり風雪のビバークだ。
5/1後から来た二人のクライマーは下半身雪に埋まったまま熟睡してた。昨日滝谷では、2パーテイが岩場で滑落し行方不明とのこと。我々も結構ギリギリだったなー。ザイルを何とか回収し、白出のコルから下ろうとしたが、ザイテングラードは雪崩の危険性が高いので、涸沢岳手前の稜線から涸沢に向け一直線に下る。涸沢のテント村まで降りたら風も止んだ。疲れた体で上高地までの単調な道をウンザリしながら歩く。小梨平でツエルトを張る。
5/2 8時に出発。河童橋を観光客に混じって渡り、西穂山荘へ登る。ロープウエイで新穂高へ。高山から鈍行で名古屋へ。夜中に大阪に着いて、駅構内で新聞紙を敷いて仮眠。
5/3長く厳しい山行を終えて、松江に帰る。
by kikunobu111 | 2008-10-21 10:37 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No36
1974年(昭和49年)ゴールデンウィークにO君を誘って、穂高に行った。当時の「岳人」に、残雪期に北穂、滝谷を出合から詰め、第4尾根が余裕で登れたらヨーロッパアルプスの岩壁は大丈夫と書かれてたのを読んで、「そうか、そうか」とその気になってしまった。欲張って錫杖岳の岩壁も登ってやろうと意気込んで、松江駅から夜行列車に乗る。翌日、汽車やバスを乗り継ぎ、槍見温泉、露天風呂の横にテントを張る。友人達から差し入れのウイスキーを空けたらへべれけに酔った。
4/28 朝起きたら強烈な悪臭がする。テントの中は二人のゲロで滅茶苦茶な状態だ。ゲロにまみれたザイルを拭いて出発。残雪を踏んでクリヤ谷から錫杖沢に入る。頭上には前衛フエースが黒々と聳えている。
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錫杖岳前衛フエース
 遠くから見ると、笠が岳の中腹にコブみたいに突き出したパッとしない山だが、岩登りのコースとしては一級品だ。一般登山コースは無く、クライマーの別天地なのだ。俺もこの山が大好きで今回が3回目だが、前衛フエースに挑戦するのは初めてだ。多少宿酔気味だったが、ザイルを結んで垂直の岩を攀りだしたら、いっぺんにシャンとした。この登攀の記憶はあいまいだが、確かど真ん中のルートを選んだと思う。残雪は殆ど壁に付いてなく硬い岩を気持ち良く登った。最後のピッチが悪く、ハーケン5本打ち突破。Ⅴ級以上だった。9Pの登攀を終え、雪の降り出したヤセ尾根を烏帽子岩の基部を巻いて、西肩から雪渓を下降。途中で夜になりヘッドランプを出す。
4/29 遅くまでテントの中で朝寝。バスで新穂高へ。昼前歩き出す。眩しく輝く雪道を滝谷出合を目指す。滝谷に入り、雄滝はデブリに埋まった右岸を簡単に越える。狭いが平らな所を見つけツエルトを張る。コメツガの枝をタップリ敷いて、ツエルトの中は針葉樹の香りに満ちた快適なビバークとなった。軽量化の為、俺は半身用寝袋だけ、O君はダウンジャケットのみ持参した。
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by kikunobu111 | 2008-10-17 10:20 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No35
 間が空きましたが、再び昔話を。  一緒に攀じっていた仲間も結婚などで一人、二人と戦列を去って行った。登攀もマンネリ気味で、相変わらず大山北壁のボロボロルートばっかりで、こんな事続けてたら、今に遭難するだろうな?という漠然とした不安はあった。実際パートナーの中には登攀前日に遺書を書いてる奴もいた。よく知ってるクライマーが屏風岩で落石を喰らって亡くなるという事故もあった。以前から夢見ていたヨーロッパアルプスの岩壁も、同行するパートナーも見つからない田舎住まいでは、夢に終わりそうで、かなりの焦燥感があったと思う。その頃は酒に憂さを晴らす様な日々が続いてた。その頃、一人の登山志願者が現れた。O君である。体力、気力の充満した彼とは、それ以降長い付き合いになる。
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小豆島、親指ピーク
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大屏風岩港ルートをフオローするO君(左下)
 28歳の冬、大山、三鈷峰西稜が冬のターゲットになった。正月休み、これを攀じって天狗沢につなげ、槍尾根経由で烏に行くという連続登攀計画を実行に移した。しかし最初の三鈷で敗退し、天狗沢を日和って槍尾根下降、烏往復に終わった。これは屈辱的な失敗登山で、2月にはO君と雪辱戦に向かった。元谷小屋を暗いうちに出発。前日の大降雪で中宝珠越えの登りは時に胸までのラッセルで2時間もかかった。雪崩の不安に怯えながら剣谷を横切り、取り付きに達する。正月に敗退した出だしのツルツルスラブを何とか詰め、上部から垂れ下がった細い枝にスリングを巻いてそーっと体を引き上げる。枝は辛うじて千切れなかった。その上は急な雪壁が続く。
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3ピッチ目ハングが現れ、ブッシュにアブミを掛けて乗り越す。5ピッチ目で細い雪稜になり、所々ヒドンクレバスがあり、雰囲気はヒマラヤの尾根にいるようだ。
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バックは宝珠尾根
最終ピッチは天狗沢より遥かに急な雪壁になり、バランスを崩すと空中に放り出されそうだ。しかも稜線には1m程の雪庇が突き出している。30m下で確保するO君との間には中間支点ゼロ。絶対落ちられない。ピッケルを慎重に振って雪庇に穴を開け、チムニー登りの要領で稜線に出た。二人で固い握手を交わす。下山時、宝珠尾根上部から尻セードで滑り降りたら雪崩を誘発し、首まで埋まって身動き出来なくなる。幸い後から下ってきたO君にピッケルで掘り起こして貰って危機脱出となった。
by kikunobu111 | 2008-10-06 16:37 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No34
そして又、春が来た。大山、北壁大ガレ下部に烏帽子岩という40m程の岩塔があり、ツルツルの東壁にボルト梯子のラインが一本あったが、俺は北側のクラックに目をつけた。全てフリーで行けるラインだし、登行距離も一番長く取れる。トライして見ると、予想どうり素晴らしい登攀内容だ。岩は大山には珍しく、カチカチで、まだ見ぬヨーロッパアルプスもこんなのかな?オポジションなどクラック登攀の技術を多用し、岩の形状に導かれる自然なラインで頂点に立った時は、これこそ岩登りだ!と感動した。(現在も岩は変わらずそこに立っている筈だ。ブッシュが伸びてるかも知れないが、整備すれば楽しめると思う。興味のある方はトライして下さい。)たかが40mではあるが。
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(大山北壁、瀧澤下部で。霧の登攀)
そして夏はYM君と2人で穂高、屏風岩、緑ルートに向かった。入山日から雨で、テントも無く小屋代も足りない我々は、横尾の岩小屋暮らしとなった。(横尾の吊り橋を渡って少し先にあり、現在土砂に埋もれているが、当時は数人が泊まれる岩穴だった。)穴の中に座って、通り過ぎる登山者や、雨に煙る屏風岩を眺めて過ごした。夕方、滝谷で滑落死した遺体が穴の前を担ぎ降ろされて行った。三日目そろそろ忍耐心が切れる頃、雨が止んだ。しかし空はドンヨリと曇り、岩はびしょ濡れだ。夜明け前、取り付きに。スリップしない様に慎重に攀じる。3ピッチでT4。T4から2ピッチで大テラス着。今日は陽が当たらないので快適だ。頭上には目指す青白ハングが覆いかぶさってくる。赤っぽい花崗岩の岩壁をA1で左上して行くピッチは口笛が出るほど楽しい。次のピッチはハーケンの効きが悪い。次第に体が岩から離れて行く。アブミからアブミへと空中サーカス的なクライムが続く。
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(山渓より)
2人でツルベ式で登るが、トップ交代が大変だった。確保者の背中にしがみついて、肩車の体勢になりスタートしなければならない。登りながら下を見ても、確保者の姿は見えず、空間が5~600m下の1ルンゼまで広がっているだけ。雨が降ってきたが、雨粒は我々の遥か後ろを落ちていく。幾つも幾つもハングを越えて、やっと上部の垂直壁に出ると突然ザーザー降りの雨に打たれる。9時間かかった。後、木登り2ピッチでロープを解く。2年前の雲稜ルートの時より疲労は少ない。激しい風雨の中を唐沢ヒュッテに向かった。(このルートは当時の国内最難ルートの一つで6級とか表現されていたが、実感としては気持ちの良いルートだった。)
by kikunobu111 | 2008-08-08 10:21 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No33
この年の後半は、大山北壁、滝沢を登ったり、ゲレンデの岩登りくらいで、ちょっと低迷してた。私生活で色々あったので。正月は単独で槍尾根~船上山縦走に向かい鳥越峠でツエルトビバーク。降雪は夜中にザーザー降りの雨となり、寝袋も衣類もグショ濡れで、翌日は縦走を諦め、烏ガ山を往復。頂上直下のトラバースは雪壁となって悪く、ピッケルで足場を削りながら突破する。そして2月11日、またまた大屏風岩に挑戦。難しい正面カンテルートだ。取り付きまでは腹まで埋まるラッセル。1ピッチ目、Y君がリード。しんがりの俺はノービレイで駆け上がる。鏡岩トラバースは俺がリード。夏とは違うラインを登る。2~3箇所微妙なバランスを要す。ザッテルからトップでカンテに向かう。最初の6~7mはフリークライム。登攀の感覚を取り戻したのか、不安感無く高度を稼ぐ。A1の人工に入ると、途端にペースが落ちた。アイゼンバンドの結び目にアブミのヒモが引っかかり、イライラする。ロープ一杯登って、アブミの上で確保、後続を上げる。吹雪で視界の悪い中、Y君がトップを受け持つ。カンテを回り込んで見えなくなるが、ロープが伸びて行かない。吹雪の中から、y君の悲鳴が聞こえる。彼の姿が見える所まで攀じる。上部を見ると、ルートが崩壊している。ハングも倍くらい大きくなってる。ワナに嵌った我々。一刻も早く下降しないといけない。終了点まで後20mしか無いのだが。俺がクライムダウンで下の確保点まで戻り、YとSZがラッペルを試みるが、壁全体がハングしている為、空中に揺れる体が俺の所まで届かない。全くアイガー北壁のトニー・クルツとおんなじ状態だ。
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夕暮れが近づいている。パートナーに手が届き、壁に引き寄せる。やっとの思いで、3人ザッテルに合流したが、鏡岩の逆トラバースはギリギリのバランスを要求された。雪に覆われたバンドを斜めに下りて行くのだが、激しいランナウトが続く。落ちるなら落ちろと半ばヤケクソで進む。最後はラッペルで取り付きへ。暗くなった大ガレを尻セードで一気に下降。この時のパートナーSZ君は数年後、突然の病で他界した。
by kikunobu111 | 2008-07-26 17:29 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No32
1972年夏、27歳。又、夏山シーズン到来!剣岳へ池ノ谷から入り、西面の岩場を登攀し、三ノ窓にキャンプするプランを実行。馬場島から30kgを越えるリュックに喘ぎながら白萩川を詰める。何度もの渡渉をこなし、二日目、雷岩から小窓尾根の急登にかかる。バテバテで池ノ谷に下降。三日目、剣尾根を目指すが、ルートを間違えたらしく、非情に難しい壁に行く手を阻まれ敗退。落ち込んだが、とりあえず4日目は池ノ谷左俣の雪渓を三ノ窓まで重荷に耐えて登る。井戸の底のような暗い谷を登りきる。三ノ窓はまさしくクライマーのオアシスだった。日本海に沈む夕日の美しさに疲れも吹っ飛んだ。5日目、目の前のチンネをアタック。下部、日稜ルートから、上部、左稜線へ。硬い岩をグイグイ登る快感に酔う。6日目、今回の主目標である剣尾根R6~R7~剣尾根上部へ向かう。陰惨な印象のコースだが、登りだしたら、岩はしっかりしてるし、ウキウキする登攀内容だ。コルCに出て、核心部のドームの登攀が始まるが、思ったより簡単で気分良く登れた。最後のコルBからの下降は悪かったが。6日目、休養日。池ノ谷、右俣に入れなかったのが残念だ。午後テントの前に聳えるジャンダルムの岩場を登る。
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(写真)三ノ窓から、チンネ取り付きに向かう。
酒が切れて、近くに幕営していた熊本大の人に菓子とウイスキーを交換して貰い大満足。7日目、北方稜線を剣山頂に抜け、早月尾根を5時間で駆け下る。さすがに疲れた。富山駅前のホルモン屋、スナックとハシゴして、夜行列車に飛び乗る。
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by kikunobu111 | 2008-07-22 19:13 | ・爺の登山小史