爺の登山小史 No44  ヒマラヤⅤ
帰りは、ひょろひょろの敗残兵と言った感じだった。途中の村で泊めて貰った夜、出された鍋入りのカレーをペロリと平らげたら、半分は家族の夕食だった。主人がえらい剣幕で怒り出し、村人達が集まってきて、不穏な空気になった。平身低頭謝ったが、かなりヤバイ!我々は夜明け前にこっそり宿を抜け出し、村外れに出ても必死で走った。下山を開始して八日目、ベトラワチまで辿りついた。ここから曲がりなりにもカトマンズまで車道になる。丁度カトマンズへ穀物を運ぶトラックがいたので、便乗させて貰う。じゃが芋の麻袋が運転席の屋根より高く積まれた上にしがみついた。未舗装で赤土がモウモウと舞う特別席は、アッと言う間に我々を髪の中まで赤く染めた。 帰り着いたカトマンズでは、毎日狂ったように喰った。幾ら喰っても満足感が無い。市内に唯一あったケーキ屋で直径30cmくらいのパンプキンパイやアップルパイを買って来て、宿でペロリと平らげた。おかげで今度は激しい下痢に悩まされる事になった。そしてカトマンズを去る日が来た。後ろ髪を引かれる思いで一人バンコクへ。行きがけとはえらい違いで、タイの人達はホームレス同然の俺の風貌に引きまくってた。おかげで自由に何処でもウロチョロ出来たが。長い間、荒涼としたヒマラヤを見てきた俺は、無性に海に憧れた。そこで、15時間バスに揺られ、下痢に苦しみながら、マレー半島を南下。プーケットに辿りついた。当時は未だリゾートになる前で、ノンビリした楽園だった。地元の子供達と無人島に行って、サンゴ礁に潜ったり、バイクを借りて、小旅行をしたり、青い海と空を満喫。そして、1.5ヶ月振りに痴呆老人みたいになって帰国。
by kikunobu111 | 2008-12-26 17:14 | ・爺の登山小史
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