爺の登山小史 No40  ヒマラヤⅠ
1975年(昭和50年)3月11 友人達に見送られて松江駅を出発。東京の旅行代理店でバンコク往復チケットを購入。(当時ネパールまでのチケットは国内では入手できなかった?)。五反田のネパール大使館で入国ヴィザ取得に二日かかった。その間、友人宅に居候。
3/14 ネパール出発の朝、羽田空港まで運んだでっかいザックは、ピッケル、ザイル等でパンパンに膨らんでいた。初めての海外、飛行機に乗るのも始めて。離陸時の緊張感は相当のものだった。機が水平飛行に入って、やっと安心。カトマンズには、S大現役のF君、S君が先着していた。彼らと行を共にするか、単独行にするか最後まで悩んだ。
 中継地、バンコクが最初の異国体験。ここでカトマンズ行きの格安チケットを手に入れるため、数日間の滞在となった。夜の空港に降りた瞬間、熱気の中に香辛料の香りを吸い込んで、「おー!東南アジアだ。」と実感した。この数日間は結構、ヤバイ目にも会ったが、俺をタイ大好き人間にしてしまった。
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3/18 午後3時、機は茶色い段々畑の連なるカトマンズ盆地に着陸。空港から市街までの風景は、バンコクとは大違いで、ブリューゲルとかボッシュの絵に出て来る様な中世の町並みだ。安宿に着いて、S大の2人と合流。話し合いの末、3人でランタンヒマールに行く事になる。(単独行を通さなかった俺の弱気が原因で後悔することになるのだが)。
3/19~3/22 この間、食料の買出し、ポーターの手配で町中走り回る。30数年前のカトマンズは車の姿も殆ど無く、空気も綺麗だった。食料買出しで、S大の2人と微妙に食い違う。俺はベースとなるランシサカルカに最低2週間分の食料を運んで、充分に雪と氷の世界を味わいたかった。出来れば小ピーク登頂も。しかし彼らは将来の遠征に備えて、ランタンヒマールだけでなく、エヴエレスト方面など広くトレッキングしたいと考えていた。結局食料はベースキャンプからは1週間分、トレッキング中は現地で調達と言う事になった。ポーターもたった2名。これじゃ、ライトエクスペデイションじゃ無くて、トレッキングじゃないか、と俺はかなりガッカリした。
by kikunobu111 | 2008-11-29 10:49 | ・爺の登山小史
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