爺の登山小史 No38
全力投球の滝谷登攀から帰って、ヨーロッパアルプスに行こうにも、暇、金、登攀能力の三拍子揃ったパートナーは見つからず、地元でゴソゴソするしか無かった。三刀屋の雲見滝に良い壁があると聞いて開拓をしたり。岩は花崗岩で綺麗な節理の50m余りのフエースだ。取り合えず登りやすそうな中央の壁にアタック。途中から残置ハーケンがあり初登では無いようだ。我々は、左側のカンテルートを一本追加した。
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当時の山日記
 断魚渓の岩壁にも行った。当たり構わず、ハーケン、ボルトを打ちまくってた。秋の大山、矢筈源流、右俣(熊谷)遡行もした。
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なかなかの秘境で手応えのある沢だった。このシーズンは、他に甲川遡行、大山、北壁の天狗沢、大屏風岩、滝沢、別山と欲求不満を解消する様に登りまくった。  しかし海外遠征に行きたいという思いは棄て切れない。そこにかすかな光明が見えてきた。当時地元S大学山岳部の連中とクライムする機会が増えたおかげで、山岳部のOK氏と知合いになった。彼は俺の登山路線とは毛色が違うが、1年かけて世界一周無銭旅行を達成して帰ったばかりだった。当時は海外に行くだけでも大変な時代で、小田実の「何でも見てやろう」という本が若者の間でベストセラーになっていた。俺は何度も、OK氏の下宿を訪ねて、彼の旅のノウハウを聞きまくった。次第に方向が定まってきた。ネパールヒマラヤだ!OK氏によると、ヒマラヤの5~6.000m級を登るのに、大袈裟な準備なんか要らない。金も要らない。めんどくさい登山許可なんか無視しろ。無許可登山したって誰も見ちゃいない。帰って黙ってりゃわかりゃしない。という極めて、アナーキー、アウトローな方式だった。当時のヒマラヤ登山といえば、何でも組織、組織で、頂上で日の丸を掲げるのが流行ってた。「登山なんて個人の遊びじゃないか。無理して大物量作戦で7.000~8.000mに行くより、気の合った少人数で身の丈に合ったピークを目指す方がよっぽど楽しいわ。」その点でOK氏とピッタリ意見が合った。
by kikunobu111 | 2008-10-31 13:55 | ・爺の登山小史
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