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爺の登山小史  No61
毎日ジメジメ天気が続いて、Mウオールで遊ぶのが精一杯です。暇つぶしに「爺の」でも書きます。1985年3月10日、曇天の元谷をパートナーのF君と大屏風岩に向かう。F君が一度冬の屏風を攀りたいと言い出し、40歳にもなって登る所じゃ無いんだが、昔からアホでお人好しと言われてた俺はホイホイ付き合うことになった。目指す鏡岩ルートは何度も登ったルートだが、何度行っても怖い。山下ケルンの上で登攀具を身に付ける。取り付きに先行パーテイがいる。この調子なら時間が掛かるなと思っていたら、彼らは西ルンゼに入っていった。「しめた」。大急ぎでロープを結び1ピッチ目にかかる。2ピッチ目はラインが昔と違っていて、西ルンゼに覆いかぶさる様な脆い壁を登る。さきのパーテイはルートを間違えていたらしく、我々の後ろから登って来た。(後で聞いたら岡山労山パーテイだった)脆い壁に微妙なフリ-クライムが続く。浮石棚まで6~7mをF君にトップで行かせるが、アブミの上でモタモタしてたら、ハーケンが突然抜け、俺の頭を飛び越えて落ちた。必死で確保する。
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何処もかしこもボロボロ、グラグラの壁を一寸刻みに進む。彼の墜落を支えたハーケンは手前に引いたら簡単に抜けた。浮石棚テラスも以前は巨大な浮石に跨って確保したのだが、今は上下左右今にも崩壊しそうな岩だらけだ。そして最後の核心部、F君に慎重な確保を頼んで登りだす。ハング帯でアブミに乗る時は、何時抜けるか解らないハーケンに心臓がバクバクする。縦クラックに打たれたハーケンを使うときは、横に引いて抜けるのを防ぐ。(ハーケンレイバックだ)。こんな技は大山の屏風岩でしか使わないだろうな?命が縮むような1m、1mを勝ち取って行く。10mほど上に終了点のブッシュが見えてきた。だがそこまでの泥壁はつかみどころが無い。
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そこで登場するのが、俺の必殺技、コンクリート釘だ。凍った泥壁では、ハーケンは全く打ち込めない。金物屋で買ったコンクリート釘はスコスコ打ち込める。それに直径2mmの細引きをタイオフする。勿論全体重等預けられないが、そっと体を持ち上げるバランス補助なら充分有効な手段だ。おかげで終了点の潅木をしっかり掴むことが出来た。しかしその後がいけない。後続のF君が何時までたっても登ってこない。握り締めるロープがピンと張り詰めている。後で聞いたら、途中で3度もハーケンが抜け、空中遊泳をタップリ楽しんだらしい。良い天気に恵まれ、細い雪稜を縦走路に向かう。F君、2度と屏風は行かないと言う。俺もこれで最後にしよう。これからは硬い岩でのフリークライミングだ。
by kikunobu111 | 2010-03-25 15:26 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No60
40歳前後、かなり生活が厳しくなって来た。と言うわけで山友達のF君の会社でバイトをする事になった。中身は測量の手伝い(鎌で藪を刈ったり、測量の杭を山に担ぎ上げる作業員)である。其の当時は商店街も活気があり、朝、長靴に弁当を持って出る時は、ちと恥ずかしかったが、仕事は結構楽しかった。毎日が山登りなので、真夏の炎天も、風雪の山道も全く苦にならなかった。仕事の合間に山菜やキノコを採って、昼休みは木陰で昼寝。そんな生活が2年近く続いた。
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其の時の僅かな貯金が登山用具の商売を始める元手になったのである。
 山の方は低レベルではあったが、ボルダリングに嵌っていた。F君がジョン・ギル(ボルダラーの元祖)の伝記[MASTER OF ROCK」(著者パット・アメント)の原書を手に入れて、俺は辞書を片手に一生懸命翻訳した。何年か後に山渓から誰かの翻訳本が出たが。なんでそんなにボルダリングに嵌ったかというと、これこそ岩登りのエッセンスだと信じたからだ。今の様にNEWスポーツ、ボルダリングという捕らえ方では無かった。MASTER OF ROCKからの抜粋です。(「ギルが大岩壁を全然登ろうとしないのはインチキだ。」あるヨセミテクライマーがギルを貶し、ボルダリングを軽蔑して言った。こういう言葉を聞くと、まるでビッグ・ウオール・クライムが高級で、ボルダリングは下らないと言ってるみたいだ。この両者は共に変化に富み、複雑であり、量と質を同次元で語る事は出来ないのだ。ボルダーの問題とエル・キャピタンの問題の間の違いは、キーツの詩とヘミングウエイの小説の間にある違いのような物なのだから。ボルダリングは登山における詩である。それは蒸留され、独特の素質を要求され、独特の洞察が織り成す登攀なのだ。)ちと気恥ずかしい文章ではあるな。
by kikunobu111 | 2010-03-07 19:09 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No59
都会に住んでれば情報は楽に入手出来るし、刺激を受ける事も多々あるが、田舎では不利な事が多い。しかし過剰な情報が無いだけ、目標に新鮮な気持ちで向かえるという楽しさもある。仙丈ヶ岳、岳沢は当時日本を代表する氷壁ルートだった。が情報も少なく雲を掴むような感じだったが、今までもそうして色々なルートを登れたのだから何とかなるだろうと思った。1984年元旦、F君、H君と俺は早朝の飯田市街を抜けて戸台口~市野瀬経由の林道を奥へとドライブした。丸山谷出合に駐車して、登山開始。周囲の谷の氷壁がガラスの城の様に輝いている。途中枝谷に入ったり、氷瀑を越えたりと、南アルプス最深部のアプローチは簡単ではない。峠に出るまでの稜線がひどい倒木地帯で消耗する。午後も遅くなって岳沢越えに着く。眼前に青く光る岳沢の全貌が姿を現す。本当に登れるのだろうか?不安が掠める。三峯川源流に着き、岳沢出合でツエルトビバーク。午後4時で-15℃。
1/2  2時起床。4時出発。F1はヘッドランプの明かりを頼りに登攀開始。垂直に近い部分で持参の安物アイスピトンが全然効かない。しょうがなく太いツララにスリングを巻いて中間支点とする。上部で側壁に残置ピトン見つけホッする。抜け口に思い切りアイスハンマーを突き刺し突破。其の頃より周囲が明るくなる。F2は簡単だった。F3は50mの垂直に近い滝だ。諦めて横の岩を登るが、これが非常に悪い。草付きをダブルアックス登攀で登り滝に戻って再びアイスクライミング。F4も難しい。ただ天気に恵まれ、気温も上昇して来て、アイスアックスが素晴らしく良く刺さる。(数年前の黄蓮谷左俣の時よりはるかに快適だ。)F5からF6までは長いが傾斜が緩いので、セカンド、ラストは同時登攀で行ける。そして岳沢の核心部、「ソーメン流しの滝」に挑む。
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ソーメン流し下部をフォローするF君。
 青白く輝く100m近い氷の壁は荘厳な雰囲気だ。下部20mを快適にこなし左岸のテラスで確保。一番美味しい所をトップで行く。大氷柱の裏側を登り、ど真ん中で70度の氷壁に出る。気持ちよく突き刺さるピックを信じて、グイグイ高度を稼ぐ。40m登って、支点はワ-トホッグを1本打っただけ。ソーメン流し最上部はバーチカルになる。この斜度は経験が無いので右岸の岩を登る。腕力を消耗する悪いピッチだった。やっと難場は終わった。F9~F11は傾斜も落ちるが、ピッケルを刺すと、水が噴出す。奥の二俣に午後4時頃到着。稜線はまだまだ遠い。沢の側壁の氷を削ってツエルトを張る。夜は満天の星で駒ヶ根?の街の明かりが綺麗だ。ロープで体を縛って谷底に落ちないようにして寝る。
1/3  5:45出発。ヘッドランプを頼りに左の沢に入る。天気は悪化の兆しだ。7時、大仙丈ヶ岳着。北岳と富士山の間から真っ赤な日の出。7時半、仙丈ヶ岳(3.003m)ここまで来れば一安心。北沢峠からの登山者も多い。この頃から風雪になる。俺達は運がよかった。もう一日行程が遅ければ、岳沢は雪崩の巣だ。10時北沢峠着。吹雪に変わった谷を戸台に下山。凍った道で嫌になるほど転ぶ。タクシーを呼んで丸山谷まで車を回収に行く。駒ヶ根で民宿に泊まり祝杯!
1/4 最後の難関、雪の四十曲がり峠を越えて帰宅。疲労困憊だったが充実した登山だった。
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ブルーがアプローチと下山路。レッドが岳沢。
by kikunobu111 | 2010-02-13 14:35 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No58
登山行為の中で、次第にフリークライミングの比重が高まって来た。クライミング誌「岩と雪」でもクライマーはボデイビルをやるべし!という記事が増えてきた。俺も友人に誘われて、40歳を前にしてバーベルを握る事になった。武道館のトレーニングルームは近いし、使用料も格安で週2~3回のペースで通いだした。当時はクライミングジムなんて日本には殆ど無かったし、岩登りのトレーニング方法なんて手探りの状態だったのだ。(ちなみに当時は5.9が登れれば、フリークライマーと名乗れたし、5.11が現在の5.14位だった。)でもマシーンなんて全く無く、赤錆の浮いたバーベルやダンベルが床に転がっているだけの殺風景なトレーニングルームには、夕方になると、仕事を終えたボデイビルダーや空手家達がやって来て、黙々と汗を流していた。
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この簡素でストイックな雰囲気が気に入った俺は結局10年近く通い詰めた。鉄錆びで手を真っ赤にしながら続けた割には、体はバルクアップしなかったなー。相変わらずヒョロヒョロ体型でクライミングにも目覚しい効果は現れなかった。体質と、鍛え方のイージーさ、そして根本的に素質が無かったのだろう。山の方は、玉峰山のクライミングと冬の大山北壁がメインだった。そして38歳の冬、俺にとっては思い出に残る山行、南アルプス仙丈ヶ岳、岳沢の氷瀑登攀の準備が始まった。
by kikunobu111 | 2010-02-12 14:10 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No57
この頃は新しいクライミングの様式、フリークライミングとボルダリングに嵌っていた。仁多の玉峰山通いが週末の日課になり、それは2年間位続いた。藪を掻き分け、岩を見つけ次第攀じ登っていた。ルート数も増え、それぞれにルート名とグレードをつけていたが、大半は何処にあったかも忘れてしまった。
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左)既成ルート。右)俺たちが掃除して初登したクラック。
 ボルトを打ったルートは少なく、ナチュナルプロテクションか、トップロープ(風化した脆い岩も多かったので)だったので痕跡も残らず、今では苔むして藪の中に埋もれてしまっている。その当時の仲間はF君やH君だった。三人で色々冒険した。そしてアルパインクライミングも忘れてなかった。
 1983年の正月、F君と北アルプス、唐沢岳北西岩稜に挑戦。前の年も彼と冬の鹿島槍を登っていた。新穂高温泉を出発し、好天に恵まれ、滝谷出合小屋裏から、急峻な雪稜を直登する。途中の雪稜を削ってテントを張る。軽量化の為、半身用シュラフで寝た。 翌日全く踏み跡の無い雪壁を所々ロープ確保で登る。稜線の左は滝谷にスパッと切れ落ち、晴れた空にドーム壁が輝いている。絶好の登攀日和だった。
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剃刀の刃の様なナイフエッジを辿り、夕暮れ時、西尾根に合流。快晴微風のベストコンデションに恵まれ、北西稜を登りきれた。ここをアタックキャンプとして三日目、奥穂高岳を余裕で往復。意気揚々と西尾根を駆け下った。
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当時の仲間の若い二人は、独身貴族で、ちゃんとしたサラリーマンだったので、登山装備も良い物を買い揃えていたが、俺は貧乏中年男。登山用具は古い物ばっかり。冬山の防寒具も中々買えず、スーパーの半額セールのスキーウエアを着て北アルプスに行ってた。ドイツの天才貧乏クライマー、ヘルマン・プールには負けるが。登山用品を扱い出す3年前です。
by kikunobu111 | 2009-12-08 15:48 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No56
1982年の8月、単独で黒部川、上ノ廊下を遡行しようと出かけた。連日の雨続きで川が増水し無理そうなので、急遽、後立山の縦走に変更。夏山の小屋泊まり縦走なんて、した事が無かったので、ちょっと悩んだが、山岳マラソン風に稜線を駆け抜けてみたらどうだ?と言う事で自分を納得させる
8/21早朝、鹿島槍ガ岳、赤岩尾根のアプローチを急いだ。
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Tシャツ、ショートパンツ、ジョギングシューズという今流行のトレールランニングそのものだった。小雨混じりの稜線を飛ばす。鹿島槍、五竜と越えて午後早い時間に五竜小屋に到着。
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当時の五竜小屋。 
雨が激しくなってきたのでストップ。素泊まりだったが、小屋の布団に寝る事に、違和感と後ろめたさを感じる。頑張ってツエルトで寝るべきだったか? 8/22少し天候回復の兆し。しかし風が強い。5:50出発。白岳、大黒岳、唐松岳、とハイペースで辿り、午後1時白馬岳着。かなり足に来だして大雪渓の下降は何度も転ぶ。午後4時無事猿倉に下山。終わってみるとクライミングと又違う達成感を感じた。
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★ガイドブックのコースタイムは30時間です。
by kikunobu111 | 2009-11-28 09:27 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No55
1982年、この頃から日本にもフリークライミングの波が寄せて来るようになった。出雲地方で、それが実践出来る場所としては、仁多の玉峰山がピッタリだった。花崗岩の岩搭が聳える様は、まさしくヨセミテ的ではないか!麓にはキャンプ4にも例えられる(俺が例えているだけだが)玉峰山キャンプ場があるではないか!てな訳で、毎週の様に、玉峰山通いが続いた。全く根性も実力も無いのに、夢にばっかり酔っている三流の典型です。
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ヨセミテクライマーを真似て、キャンプ場でクライミングギアを並べて見ました。右写真は玉峰山のクラック。なけなしの金をはたいて買ったフレンズを持って意気揚々とクラックに挑戦したが、6~7m登った所で、下を見たら、全てのフレンズが外れて、フリーソロ状態になっていて、脳の血管が切れそうになったりと、失敗の連続だった。
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王子ガ岳(岡山)のクラック。
それでもたまには、大山の北壁に行っていた。
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北壁「天狗沢」を横浜から遊びに来た友人を案内する。勿論ノーザイル。
by kikunobu111 | 2009-10-26 18:33 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No54
この年の8月、再び奥鐘山西壁を目指して、炎天下の黒部川の水平歩道をM君と二人で辿った。今回は志合谷を下降するアプローチをとったが、非常に悪く、懸垂下降や不安定な雪渓下りに手こずり、やはり黒部本流をジャブジャブ行くのが正解と解った。暗くなる頃、河原に降り立ち、早速ツエルトを張る。
8/13 7時に出発。本流の浅い所を渡渉し「中央ルンゼ」を目指す。草付きのスラブを慎重に150mほど登り、アンザイレン。今回のパートナーM君とは長い付き合いで、仁摩の竜岩山にルートを開いたザイル仲間だ。岩登り以外に筋金入りのボデイビルダーで凄い体をしていた。4ピッチで「クサビの切れ目」。先行パーテイは苦労していたが、思ったより楽に突破。なんせ我々はフラットソールのクライミングシューズを履いてる。出来るだけフリーで登るようにする。次の難関「V角」。A1の人工だが、ハング出口にラープが一本打ってあるだけ。これにアブミを掛けてぶら下る時は、冷や汗が出た。その上のピッチには振り子トラバースが出てくる。今はそれらのピッチは全てフリー化されている。目に眩い白く硬い花崗岩のクライミングが続く。途中間違いのボルトラインに入ってしまい、袋小路に追い込まれる。必死でジャンピング作業をする。岩が硬くボルト一本埋めるのに、30分かかった。真夏の陽射しに照らされ、次第に体力を消耗する。Mにトップを譲り、荷物運びを受け持つ。水も殆ど底を突き、遥か下に糸のように光る黒部川が恨めしい。長いルートもやっと終盤。最後のピッチをトップで行く、が、疲れていて力が出ない。核心部で落ちそうになり、一か八かデッドポイントで手を飛ばしたらガバだった。二人が下部岩壁終了点のテラスで合流したのは、午後5時だった。
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休むことなく下降にかかる。スムースなラッペリングが続き、暗くなる頃「クサビの切れ目」に着く。その下は暗くてラッペルの支点が見つからない。ロープにぶら下ったまま左右に岩壁を走る。結局支点は自分で作るしかない。ヘッドランプの明かりで、ボルトを埋めたり、浮石にハーケンを何本も叩き込む作業が延々と続く。渇いた体に、暗闇から聞こえる黒部川の水音が恨めしい。ロープに宙吊りの靴底が河原の石に触れたのは午後9時だった。水際に飛んで行き蛙の腹みたいになるまで、水を飲む。
8/14 本当は下ノ廊下を辿り、丸山東壁に継続するプランだったが、お互い疲れ切っていたので、黒部本流での岩魚釣りに変更。ウジャウジャいる川虫を餌に竿を伸ばすと、すぐに尺岩魚が掛かった。岩壁を登るクライマーを眺めながら、岩魚の塩焼きと冷酒に舌鼓を打つ。午後雨が降り出したので、慌ててパッキングをし、増水に怯えながらも、志合谷を登るよりましと、本流をザブザブ欅平へ下る。 ★奥鐘山西壁「中央ルンゼ」は良いルートです。草付きも嫌らしくないし、岩質も最高。オールフリーでも5.9くらいか?季節は秋10月頃がお奨め。夏はヤバイです。
by kikunobu111 | 2009-10-09 15:57 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No53
 久し振りの「爺」です。1981年(36歳)、奥鐘山から帰って、フリークライミングやアメリカンエイドに目覚めた。最初に買ったのは確か、ガリビエール(仏)のフラットソールシューズだった。今から思うと恐ろしくゴム質の硬い靴だったが、本人は大満足で、もう怖い物無しという気持ちで、早速、雪彦山(兵庫県)の岩場に行ったり、島根半島にボルダーを探して歩いていた。当時知る人ぞ知る王子ガ岳のボルダーも訪れた。K氏が作ったスーパーカンテ(4級?)が登れて鼻高々だった。
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スーパーカンテは今より高かった。自然にヒールフックかましてます。
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王子ガ岳・スーパーカンテ
このフラットソールの靴が出始めた頃から、クライマーは二極分化を始めた。伝統(因習)にこだわる連中は、こんなフニャフニャの靴を履いて登ったら岩場が穢れるという言い方さえして、従来の硬いビブラムのドタ靴に拘泥した。しかし岩場でフラットソールに圧倒的な差を見せ付けられると、次第にクライミングから遠ざかっていく人が増え始めた。俺は本当にクライミングが好きなら、フラットソールに履き替えるのが当然という立場だったが、彼らには彼らの言い分があったのだろう。(確かに大山のボロボロ泥壁では、ドタ靴が有効だが)。おかげでいままでの同年代のパートナーはドンドン減っていき、付き合うのは若い連中ばかりになった。それは俺にとってひどく寂しいことだったが。(常識で考えて、35歳過ぎて岩にうつつを抜かすほうがおかしいか?) 
 この年の梅雨明け、大山・甲川を単独遡行した。ウグイス橋から入る。先行していたグループを下ノ廊下で抜いて、後はマラソン状態で駆け上がった。
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難所では両手にフイフイ付きのアブミを持ちガンガン突破。上ノ廊下を終えて時計を見たらウグイス橋から3時間しかかかってない。我ながらビックリ!ヤブ尾根を登り林道に出て、真夏の炎天下、汗ビッショリでウグイス橋まで戻った。
 次の週末には、一人で蒜山三山を夜間縦走した。蒜山自体初めての山だった。俺はお化けとか割合怖がる方だったので、この縦走は冷や汗かきかきの冒険だった。午前0時、犬鋏峠から登りだし、上蒜山を越えた頃には、お化けよりも睡魔に負けてしまい、山道で朝まで熟睡していた。
by kikunobu111 | 2009-10-08 17:14 | ・爺の登山小史
爺の登山小史 No52
1980年(35歳)の10月16日、俺はS大山岳部のキャップテンF君と富山行きの夜行列車に乗った。目指すは黒部、奥鐘山西壁。単独で挑む筈だったが、F君がパートナーを買って出てくれたので甘えてしまった。彼とは2度ゲレンデに行き、パートナーとして信頼できると判断した。
10/17 昼過ぎ、生憎と雨に煙る黒部峡谷、欅平に着く。アプローチは黒部川本流を遡る。思ったより水量少なく、時折足元を横切る岩魚の影を見ながら進む。ただこのコースは黒四ダムが放水したら、日本海まで流されるリスクはある。1時間ほどで目指す奥鐘山西壁が見えてきた。上部は雲に隠れ、下部だけで500mの岩壁は、雨に濡れて光っている。対岸の岩小屋で一泊。人影は全く無い。
10/18 5時に起きる。深い谷底のせいもあり、真っ暗な中で出発準備。膝くらいの渡渉で取り付きへ。ガレ場を詰めアンザイレン。濡れた脆いフェースを慎重に登る。3P目は下り気味のトラバース。4P目、壁は垂直になり、登山靴をジョギングシューズに履き替える。未だクライミングシューズを知らない時代で、底の薄いジョギングシューズはこの花崗岩の岩壁にピッタリだった。垂直だがホールドの豊富なピッチは、フリーでグイグイ登れ、実に楽しい。5p目で通称、猿回しのテラス。くの字チムニーへの右上トラバースは一箇所、5級のフリーがあった。チムニーそのものはビショビショに濡れてはいるが、人工混じりの快適な内面登攀だ。チムニー内の最後のハングを越えると、ガクンと傾斜が落ち、くの字ルンゼに着く。ユマーリングで登ってくるF君は未だ馴れないせいか、操作ミスが重なり、貴重な時間がドンドン過ぎていく。10p目、残置ピトンが殆ど無い。所々にアルミリベットが見えるだけ。初登の紫岳会の連中が打った物だ。後の事等全く考えていない。そこが又良いところなんだが!次第に夕暮れが迫っている。
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日没と競う様に上を目指す。ヘッドランプを頼りに、15Pでボルトテラスに着いた時は暗闇になっていた。それこそ小さな椅子程の棚に2人並んで腰掛け、夜を迎える。足は400m下の黒部川にぶらさげたままだ。夕食はアルファ米にチョコレートを溶かした「チョコライス」。これが疲れ切った体に沁み込む様に美味い!雨が降り出し、ツエルトを被るが、膝から下は出ている。リュックに足を突っ込み、カバーする。
10/19 雨がザーザーとツエルトを叩く。壁全体が滝と化している。6時、F君持参の沢登りシューズを借りてスタート。手掛かりを掴む手首から水は情け容赦なく進入し、岩登りと言うより、海水浴に近い。沢登りシューズのおかげで、濡れたスラブも何とか突破できる。17P目から上部岩壁はルートが非常に複雑になる。トラバース、懸垂下降、振り子トラバース、とルートファインデイングを間違ったらアウトだ。雨は益々激しさを増し、余りの追い詰められ方に笑ってしまうほどだ。22P目、滝の直登が出て来る。完全に沢登りの世界だ。10月の雨に全身ビショ濡れの体はドンドン消耗して行く。26P目で上部三角岩壁下に達する。垂直のブッシュ登りは果てしなく続く。31P目でやっと、傾斜も緩んでくる。午後3:30、数本残ったスイスメタでお茶を沸かす。ザイルを解き、疲労と空腹でヨタヨタとヤブ漕ぎを続ける。午後5:30、暗くなり2度目のビバーク。激しく降り続く雨の中、一人用のシュラフカバーに無理矢理2人入り、体をくっつけて体温を保つ努力をする。カバーの中も水が溜まり、これでみぞれにでもなれば、2人とも冷凍人間だろう?
10/20 何とか生きてた。もうひとかけらの食料も無い。水を吸って重くなったリュックを背負う。要らないクライミング用具を棄てて行く。相変わらず降り続く雨の中を奥鐘山を越え、南越へヤブ漕ぎだ。途中でルートを間違え黒部川に下っていた。気がついて良かったが、そのまま行ってたら、多分死んでたろう。コンパスで確かめながら進む。水腹の割には良く歩いた。一瞬雲が切れて、遠くに望む立山連峰は新雪で真っ白だった。9時前南越に着いた。助かった!登攀を始めて以来、始めて二人握手をする。ここからは一般コースだ。祖母谷温泉の山小屋に寄り、食事を頼む。親切なご主人で、どんぶり山盛り2杯の飯とキノコ汁6杯をペロリと頂いた。昼前、欅平に戻る。奥鐘山の岩小屋に残してきた装備を回収に再び黒部川を遡る。雨のせいか水流はかなり早くなっていた。壁を見上げて、生きて帰れた事を感謝する。富山に着いて、銭湯に入ったら、酷使した手が腫れ上がって、握ることもできなくなる。めげずに富山駅前の飲み屋を3軒ハシゴ!
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by kikunobu111 | 2009-02-21 17:05 | ・爺の登山小史