爺の登山小史 No45
いつの間にか30歳。30まで生きてるとは思ってなかったので(レベルの低い山ばっかりやってて、生きてて当然なんだが)、これからの人生どうしよう?と考えると、呆然とする思いだった。憧れのヨーロッパアルプスは夢に終わったし、ヒマラヤももうチャンスは来ないだろう。(その後3度トレッキングに行ったが、これは殆ど仕事の一環だった)。これから全うな人生歩まねばと、嫁さん貰って暫くは、大人しくしていた。しかし1年もすると又、病気が出てきた。1977年3月、氷ノ山スキー登山にスキーの上手いN氏と行った。山スキーの楽しさに目覚めた登山だった。
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当時の山スキー、(靴は勿論、皮の登山靴.スキンはアザラシの皮)
 春になると遂に我慢出来なくなり、仁摩の竜岩にルート開拓を開始。M君と片道2時間をものともせず、9号線をせっせと通った。岩は軟らかく、ボルトの効きも悪いが、2Pのかなり危険なルートが完成。左稜線ルート(5級+)とムササビルート(5級)。左稜線2ピッチ目の核心部で、手持ちのピトン、ボルトが底をつき、ジャンピングを深く埋めて、それにタイオフして突破した。左稜線ルート完登の日は、眼下の道路で地元警察がネズミ捕りをやってたが、通りかかる車が俺達の登攀を見るために、皆スピードを落とすので、商売上がったりで気の毒だった。
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竜岩、(結局後に続く者は現れず、ルートは消滅)。
 登山はどんどんエスカレートして行き、1978年正月には、碌に滑れもしない山スキーを担ぎ、単独で後立山、五竜岳を目指した。大遠見岳の稜線に雪洞を堀り、翌日頂上アタック。しかし吹雪で視界ゼロ、黒部側からの猛烈な吹き上げの中、五竜の凍った岩稜は厳しかった。山頂まで50mくらいの所で、引き返す羽目になる。五竜冬季小屋に泊まって下山。遠見尾根の下りではスキーは殆ど担いでた。何の為の山スキーか良く解らない結果に終わった。(山スキーはそんなもんだ。ゲレンデスキーヤーとは違うぞ!という変な自負というか負け惜しみに固執していた。)
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上)遠見尾根にて、遠くに鹿島槍北壁、下)後立山主稜線にて。
by kikunobu111 | 2009-01-06 13:48 | ・爺の登山小史
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