爺の登山小史 No42 ヒマラヤⅢ
次第にチベット的になってくるが、ヒマラヤの高峰は中々姿を現さない。ある日、尾根の縁を回り込んだら、ドーンと真っ白いピークが目に飛び込んできた。それは、真夏の入道雲みたいに遥か頭上高く聳えていた。その時の感動は大きかった。こんな山なら登山家達が死を賭して挑戦するのが理解できる。そのピークはゲンゲリルという名で、ランタンリルンの前衛峰に過ぎない6.000m級の山なのだ。
 道中で一番賑やかなドンチエという村には、歩き出して4日目に着いた。雨の漏る安宿で、村の大人も子供も集まってきて、民間国際交流タイムとなった。単語羅列だけのネパール語とボデイランゲージで楽しい時間が経つ。 翌日トリスリ川本流から離れて、ランタン谷に入る。小さな村で日が暮れて、農家に泊めて貰う。鶏を一羽絞めて貰って、久し振りの動物性蛋白質を補給。食い尽くして骨だけになった鶏を、その一家は目を輝かせながら噛り付いていた。そんな事なら、もう少し肉を残しとけば良かった。翌朝農家の主人ロプサンに臨時ポーターになって貰う。ロプサンはチベット系で、ネパール人には珍しく背が高くガッシリした体躯で、顔は三船敏郎みたいなハンサムだった。性格も豪快そのもの、黒澤の映画から抜け出たかと思った。石楠花が満開の谷筋を喘ぎながら登る。
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高度も上がってきて、息が切れる。ゴラタベラ村にはロッジがあり、チベットから亡命して来たカンパ族の家族が経営していた。夜は冷えて、土間のストーブを囲んで雑魚寝。チベット人の夫婦がゴソゴソやり出して、我々独身3人組には刺激が強すぎた。ランタン谷はV字峡谷から次第にU字谷になって来た。氷河圏谷だ。風景も荒涼としてきて、周りは白銀のナイフの様なピークが連なり、吹く風は刺すように冷たい。3度の食事は益々劣悪になり、寒さが余計に身にしみる。一週間目にキャンジエンゴンバ着。背後にはランタンリルン(7.245m)が「絶対お前らには登れないよ!」と言った厳しさで聳えている。
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初登頂は日本隊だが、成功するまでに10人近くが死んでいる。キャンジエンゴンバは古ぼけた僧院とチーズ工場があるだけで、今みたいなロッジの乱立が想像も出来ない殺風景さだった。
by kikunobu111 | 2008-12-09 16:31 | ・爺の登山小史
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