爺の登山小史 No37
4/30 4:30出発。出発時の天候は穏やかだった。合流点に着き、真ん中のC沢に入る。カチカチに凍った雪の急斜面上部から、時折落石がブーンと気味の悪い音で飛んで来る。これがパチンコ玉みたいに、沢の側壁に跳ね返って真横からも飛んでくるのだ。身を隠す場所も無く、スノーコルまでの2時間は生きた心地がしなかった。先行パーテイがいたので取り付きでザイルを結んだままツエルトを被って待つ。第4尾根の出だしは脆い岩場だ。二人で交互にトップを受け持つ。凍ったカンテに馬乗りにしがみ付きピッケルを振るって手掛かりを削りだしながら攀じ登る。天気は次第に悪化している。9ピッチ目のツルム側壁はヌルテカの氷に覆われ、ハーケンも氷雪の下に隠れて、恐怖のフリークライミングだった。冬の大山でも経験したことの無い強烈な寒さと風の中、ツルムのコルへ懸垂下降し、最後の登攀に入る。13ピッチの苦闘の末、Dカンテ上の終了点に出るが、急な雪稜が続きザイル確保で進む。北穂~涸沢岳間の稜線は物凄い風雪で岩にしがみつかないと、涸沢側に吹き飛ばされそうだ。ザイルを解いたら、40mのザイルが魔法のロープみたいに垂直に空に向かって立ち、引っ張ってもビクともしない。滝谷の上昇気流の激しさを物語っている。
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夕闇の稜線に落ちてきたザイルは複雑に岩に絡みつき回収不能となる。稜線の涸沢側に、小さい雪洞を発見。中にいたクライマーに頼んで避難させて貰う。夜中になって後続パーテイも到着し、狭い雪洞に入れないので、上半身だけ突っ込んでビバーク体勢に入る。文字どうり風雪のビバークだ。
5/1後から来た二人のクライマーは下半身雪に埋まったまま熟睡してた。昨日滝谷では、2パーテイが岩場で滑落し行方不明とのこと。我々も結構ギリギリだったなー。ザイルを何とか回収し、白出のコルから下ろうとしたが、ザイテングラードは雪崩の危険性が高いので、涸沢岳手前の稜線から涸沢に向け一直線に下る。涸沢のテント村まで降りたら風も止んだ。疲れた体で上高地までの単調な道をウンザリしながら歩く。小梨平でツエルトを張る。
5/2 8時に出発。河童橋を観光客に混じって渡り、西穂山荘へ登る。ロープウエイで新穂高へ。高山から鈍行で名古屋へ。夜中に大阪に着いて、駅構内で新聞紙を敷いて仮眠。
5/3長く厳しい山行を終えて、松江に帰る。
by kikunobu111 | 2008-10-21 10:37 | ・爺の登山小史
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