爺の登山小史  No61
毎日ジメジメ天気が続いて、Mウオールで遊ぶのが精一杯です。暇つぶしに「爺の」でも書きます。1985年3月10日、曇天の元谷をパートナーのF君と大屏風岩に向かう。F君が一度冬の屏風を攀りたいと言い出し、40歳にもなって登る所じゃ無いんだが、昔からアホでお人好しと言われてた俺はホイホイ付き合うことになった。目指す鏡岩ルートは何度も登ったルートだが、何度行っても怖い。山下ケルンの上で登攀具を身に付ける。取り付きに先行パーテイがいる。この調子なら時間が掛かるなと思っていたら、彼らは西ルンゼに入っていった。「しめた」。大急ぎでロープを結び1ピッチ目にかかる。2ピッチ目はラインが昔と違っていて、西ルンゼに覆いかぶさる様な脆い壁を登る。さきのパーテイはルートを間違えていたらしく、我々の後ろから登って来た。(後で聞いたら岡山労山パーテイだった)脆い壁に微妙なフリ-クライムが続く。浮石棚まで6~7mをF君にトップで行かせるが、アブミの上でモタモタしてたら、ハーケンが突然抜け、俺の頭を飛び越えて落ちた。必死で確保する。
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何処もかしこもボロボロ、グラグラの壁を一寸刻みに進む。彼の墜落を支えたハーケンは手前に引いたら簡単に抜けた。浮石棚テラスも以前は巨大な浮石に跨って確保したのだが、今は上下左右今にも崩壊しそうな岩だらけだ。そして最後の核心部、F君に慎重な確保を頼んで登りだす。ハング帯でアブミに乗る時は、何時抜けるか解らないハーケンに心臓がバクバクする。縦クラックに打たれたハーケンを使うときは、横に引いて抜けるのを防ぐ。(ハーケンレイバックだ)。こんな技は大山の屏風岩でしか使わないだろうな?命が縮むような1m、1mを勝ち取って行く。10mほど上に終了点のブッシュが見えてきた。だがそこまでの泥壁はつかみどころが無い。
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そこで登場するのが、俺の必殺技、コンクリート釘だ。凍った泥壁では、ハーケンは全く打ち込めない。金物屋で買ったコンクリート釘はスコスコ打ち込める。それに直径2mmの細引きをタイオフする。勿論全体重等預けられないが、そっと体を持ち上げるバランス補助なら充分有効な手段だ。おかげで終了点の潅木をしっかり掴むことが出来た。しかしその後がいけない。後続のF君が何時までたっても登ってこない。握り締めるロープがピンと張り詰めている。後で聞いたら、途中で3度もハーケンが抜け、空中遊泳をタップリ楽しんだらしい。良い天気に恵まれ、細い雪稜を縦走路に向かう。F君、2度と屏風は行かないと言う。俺もこれで最後にしよう。これからは硬い岩でのフリークライミングだ。
by kikunobu111 | 2010-03-25 15:26 | ・爺の登山小史
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